元TBS記者である山口敬之氏から性暴力被害に遭ったとして慰謝料など1100万円の損害賠償を求めた訴訟を起こしていた伊藤詩織さん。
この裁判の判決が今日、東京地裁で下され、鈴木昭洋裁判長は330万円の支払いを命じたというニュースが報道されました。
こういった内容の訴訟を起こすことは大変勇気のいることですし、訴訟をすることで世間の注目を浴びるわけですから、ご自身もいろいろなことを言われることを承知にうえで起こされた行動だと思います。
今後の性暴力被害を無くすためにも、やはり泣き寝入りするわけにはいかないと決断されたことだと思います。
そんな勇気ある行動を起こした伊藤詩織さんがどんな方なのか、気になった方は多いのではないでしょうか?
ということで今回は『』と題しまして、伊藤詩織の画像経歴や学歴と家族や、山口敬之との裁判経緯をまとめてみたいと思います。
それでは本題に入らせていただきます。
伊藤詩織の画像や経歴や学歴と家族は?
個人的な感想ですが、女優の香椎由宇さんに似ていませんか?とっても美人な方です。
聡明で強さを持っていそうな印象です。
それでは伊藤詩織さんのプロフィールや経歴をみていきましょう。
伊藤詩織
1989年生まれ。
出身:神奈川県
職業:ジャーナリスト、映像作家、起業家
代表作:「Black Box」文藝春秋
受賞歴:
2018年度ニューヨーク・フェスティバルドキュメンタリー部門銀賞(監督)
スポーツ&レクリエーション部門銀賞(カメラ)
伊藤詩織さんのお父様は建築関係のお仕事をされていました。
兄弟には妹さんと弟さんがいるそうです。
なんと9歳のときからモデルの仕事を始めたそうです!
その後、日本の短大を卒業し、2014年(25歳のとき)にはニューヨークでジャーナリズムを学びました。
9歳からモデルのお仕事を始めたということですが、顔立ちが少しハーフ風ですので当時から大人っぽい子供だったのでしょうね。
特にハーフという情報が見当たらないのですが、25歳のときにはニューヨークに行かれていますし、現在はイギリスに在住のようですので海外との接点は非常に多そうです。
主な職業としてはジャーナリストとなっていますが、最近はカルバン・クラインのキャンペーンモデルにも起用され、その美貌が世界に知られることとなっています。
日本では伊藤詩織さんがメディアに殆ど無視されているが、世界では、カルバン・クラインの国際女性デーのモデルになった。 https://t.co/eqNseIafl3
— Martin Fackler (@martfack) March 31, 2019
学歴については、公には日本の短大卒としかありませんが、著書である「BlackBox」を読まれた方の感想から、どうやら高校時代にも留学を経験し、アメリカやイタリアの大学にも通われたようです。
ものすごく自立した女性だということがわかります。
伊藤詩織 #Blackbox #読了
何を言うべきか…悩む。書きやすい横道の感想の方から。すごい人もいたものだ、というのが伊藤さんへの素直な感想。高校時代の留学に始まり、自活しながらアメリカやイタリアでの大学、その後も世界各地飛び回っている。
— Glück (@Glueck87016) November 3, 2017
山口氏と伊藤詩織さんが出会ったのはアメリカ留学中の2013年のことです。
これについては下段にて詳しく書いていきたいと思います。
以下は伊藤詩織さんの経歴に関するインタビュー記事の抜粋です。
2014年の夏の終わり、大学卒業を目前にした詩織さんは、インターンシップの受け入れ先を探すためにいくつかのメディアにメールを送り、送り先のひとつが山口氏だった。かれはそのとき、知己の日本テレビのニューヨーク支局長に連絡することを助言したという。そして、面接とテストを経て、詩織さんは同年9月から日本テレビのニューヨーク支局でインターンとして働く。しかし、仕事と勉学に追われてバイトができなくなり、いったん、ニューヨークぐらしを切り上げることにする。そして、日本に帰って2015年2月に、ロイターとインターン契約を結ぶのである。フリーランスのドキュメンタリー作家として企画・監督し、「ニューヨーク・フェスティヴァル」の受賞作品となった『Lonely Deaths』の製作につながる初期取材がはじまった前後の状況はこのようなものだった。
引用元: https://www.gqjapan.jp/culture/celebrity/20180623/shiori-ito-1
以上をまとめると、
2013~2014年 ニューヨークの大学に通う大学生
2014年9月~ 日本テレビニューヨーク支局でインターン
2015年2月~ 日本でロイターとインターン契約
こうして日本に帰ってきた2015年4月に山口氏との事件が起こりました。
事件経緯については次の段落でみていきたいと思います。
追記:伊藤詩織さんのお母さまが、12/18に初めて裁判を傍聴し、判決後に報道陣にコメントを語りました。
「娘の勇気を誇らしく思っています。心配もありましたけど、よく頑張ったとほめてあげたいと思います」
伊藤さんがここまで頑張れた理由について、母は静かに語った。
「被害がなかったことにしたくなかった、昔から正義感の強い子どもだったのでそれを隠して生きていくことが彼女にはできなかったのだと思います」
山口氏についてはこう感情をぶつけた。
「あなたにもし娘がいたらと、想像してほしい。わが子に性被害が降りかかったら、親なら胸が張り裂ける思いです」
引用元:Yahoo!ニュース
伊藤詩織と山口敬之との裁判経緯まとめ
山口敬之(やまぐちのりゆき)
1566年5月4日生まれ
職業:ジャーナリスト
伊藤詩織さんと山口敬之氏の出会い
二人が知り合ったのは2013年9月、伊藤詩織さんがニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を学んでいたときのことです。
2013年、伊藤さんは24歳でした。
以下、インタビュー記事より抜粋。
留学生活は苦しかった。両親の反対を押し切っての渡米でもあったので援助もほとんどなく、学費も生活費も翻訳やベビーシッティング、そしてピアノ・バーでのアルバイトなどによってまかなっていた。「バーの方は帰りが深夜になるため、当時一緒に住んでいたパートナーは心配し、頻繁には出勤できなかった。しかし、ベビーシッターに比べれば、こちらのほうが時給はずっと高かった」と、著書の『Black Box/ブラックボックス』(文藝春秋)のなかで詩織さんは書いている。
山口氏はジャーナリストをめざしているといったかの女にたいして好意的だったという。名刺を差し出し、機会があったらニューヨーク支局を案内するからメールをください、とまでいった。ほどなくして、ふたたびニューヨークに来た山口氏から連絡があり、TBSのニューヨーク支局長とランチをしているので、よければ来ないかとの誘いを受け、ランチ場所の日本料理店に行って紹介してもらった。「事件」のあった2015年の4月3日まで、山口氏と会ったのは2013年のこの2回がすべてだ。
引用元: https://www.gqjapan.jp/culture/celebrity/20180623/shiori-ito-1
2013年9月 伊藤詩織さんと山口氏が詩織さんのアルバイト先である”ピアノ・バー”で出会う。
(のちに山口氏はこのバーが”いわゆるキャバクラだった”と語っています)
後日、日本料理店にて山口氏、伊藤詩織さん、TBSニューヨーク支局長の3人でランチ。
2015年4月3日 事件が起きる。
刑事告発は不起訴
2015年4月3日
伊藤詩織さんが就職やアメリカの就労ビザについての相談のため、当時TBS政治部記者でワシントン支局長だった山口敬之氏と会食した席で、深夜から早朝にかけて飲酒により記憶をなくしていた間にホテルで乱暴されたとして、準強姦容疑で警視庁い被害届を提出したことでした。
ですが検察は嫌疑不十分で不起訴とします。
2017年5月
伊藤詩織さんは検察審議会に審査を申し立てましたが、「不起訴相当」という議決がなされました。
この件については、高輪署が山口氏を逮捕する直前で警視庁の支持により逮捕が中止され、捜査が警視庁に引き継がれるという不可解な事由が起こりました。
この件については以下の記事で書いていますのでよろしければご覧ください。
民事訴訟で損害賠償請求が認められる(2019/12/18)
2017年9月28日
伊藤詩織さんは山口敬之氏を相手に「望まない性行為で精神的苦痛を受けた」として1100万円の損害賠償を求め民事訴訟を起こしました。
同年10月18日、自らの訴えをつづった手記「Black Box」を出版。
この本を読んだ人の感想をご紹介します。
一気に読み進めて、涙が出るより何度も何度も吐き気がした。
彼女をレイプした相手(著書では実名が載っています)が総理 (現在の)に近しい人間だった為に大きな力が働き逮捕直前 でストップがかかった事実。
不起訴 となり、その男は何事もなかったかのように#コメンテーター としてテレビ に出て、「総理」という本も出版しています。引用元:インスタグラム
これから、読書したら、感想文みたいな感じで、呟きに、残しておきたい
が、「Black Box」が、あまりに、衝撃というか、当事者・被害者である伊藤詩織氏の受けたダメージは、計り知れないだろうに、私自身が、苦しくなって、言葉が…— モサモサ (@mosarama1) November 9, 2017
読んだ人が言葉を失うほど強烈な内容のようです。
本当に卑劣な行為をされ、心も体も傷つかれたのだと思います。
同月26日発売の月間「Hanada」には山口氏による「私を訴えた伊藤詩織さんへ」と題した手記が掲載されました。その内容は伊藤さんの主張を全面否定した内容でした。
さらに2019年2月、山口氏は名誉を棄損されたとして伊藤さんを相手に1億3000万円を求める損害賠償と謝罪広告を求めて反訴しました。
そして今日、12月18日、判決が下りました。
以下は引用になります。
判決は、山口さんの供述について「不合理に変遷しており、信用性には重大な疑念がある」と指摘。伊藤さんの供述から、山口さんが合意のないまま性行為に及んだと認定した。
また、伊藤さんがおこなった記者会見などについて、山口さんは名誉毀損だとして慰謝料など1億3000万円と謝罪広告を求めて反訴していたが、「公共性および公益目的がある」として棄却した。
判決後、地裁前で伊藤さんは支援者や報道陣を前に、「良い結果をみなさんにお届けすることができて、本当にうれしいです。ありがとうございました。長かったです」と話した。
引用元:Yahoo!ニュース
伊藤詩織さんは告発後はオンラインで批判や脅迫にさらされ、身の危険を感じることもあったといいます。
日本で暮らすのが難しく感じたとき、ロンドンの女性人権団体から「安全なところに身を置いたら」と連絡をもらい、2017年4月からロンドンで暮らしているそうです。
伊藤さんは自身が「強い女性」「勇気ある女性」と言われていることに対してこう話しています。
「本当はへなちょこです。期待されているような、そんなんじゃないです。」
だから、告発することは本当に本当に勇気のいることだったと思います。
恐い思いもたくさんされたことでしょう。
裁判をするということは精神的にも肉体的にも本当に辛いことだとお聞きします。
やっと終わって、本当にお疲れ様でしたと言いたいです。
まとめ
ということで今回は『伊藤詩織の画像経歴や学歴と山口敬之との裁判経緯まとめ【美人ジャーナリスト】』と題しまして、伊藤詩織の画像経歴や学歴と山口敬之との裁判経緯についてお届けしてまいりましたがいかがだったでしょうか?
1人の女性の闘いがやっと終わったのですね。
この一件で同じような被害が今後なくなっていくことを願います。
それでは本日はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント