こんにちは、KAORUです!
本日9/11(水)、第4次安倍第次改造内閣が発足します。
今回は19人の閣僚のうち13人が初入閣ということで、中でも自民党若手ホープの小泉進次郎氏の入閣に関しては前からかなりの注目を集めていました。
今回の閣僚人事の狙いについては本日夕方にも発表されると思いますが、先の会見で菅官房長官は阿部総理の臨時閣議での発言として『さらなる挑戦に力強いご支援を』と紹介しました。
新内閣には、引き続き社会保障制度の見直しや外交問題、憲法改正に地方再生等、山積みの問題に対して成果をあげるべくより一層真剣に取り組んでいただきたいですね。
さて、初入閣大臣のうち、一億総活躍担当大臣と沖縄・北方担当大臣、少子化担当相を兼務するのが衛藤晟一氏です。
今回は『』と題しまして、衛藤晟一氏の妻や息子や家族、評判と選挙違反て何のこと?ということについて迫っていきたいと思います。
それでは本題に入らせていただきます。
衛藤晟一の妻や息子と家族は?
衛藤晟一先生の御入閣おめでとうございます!😊参議院選挙でお手伝いさせていただいた衛藤晟一先生。衛藤晟一先生はマスコミ受けする派手さはないのですが、福祉や障がい者雇用の分野で多大なご尽力なさっている先生です。 pic.twitter.com/xh3b2J3CEo
— カエル星人🐸 (@KtBcmIz9m9erH2m) September 10, 2019
衛藤晟一氏は現在71歳。内閣総大臣補佐官を務めていた方です。
政治家としてはベテランだと思われますが、特に政治に詳しくない方からするとどんな人物なのか知らない方が多いのではないでしょうか?
まずは衛藤晟一氏のプロフィールご紹介しましょう。
衛藤晟一
えとうせいいち
生年月日 昭和22年10月1日生
出身地 大分県
参議院議員 比例 当選2回(衆議院4回)昭和22年10月1日
大分市に生まれる(生粋の九州男児)
大分市立住吉小学校卒大分市立碩田中学校(せきでんちゅうがっこう)
県立大分上野丘高校(おおいたうえのがおかこうこう)
昭和45年
国立大分大学経済学部卒業(学園正常化運動に奔走、サッカー部で活躍)
昭和48年
大分市議会議員選挙初当選(最年少25歳)
市議会議員2期目に大分県議会選挙に挑戦
昭和54年
大分県会議員に当選 2期
平成2年
衆議院議員初当選 4期
自由民主党社会部会長
運輸政務次官
自由民主党政務調査会副会長
衆議院厚生労働委員長
厚生労働副大臣等歴任
平成19年
参議院議員選挙 比例区で当選(202,314票)
自由民主党政務調査会厚生労働部会長
参議院自民党幹事長代行
自由民主党障害者特別委員長
自由民主党政務調査会長代理
平成24年
内閣総理大臣補佐官(教育再生、少子化その他国政の重要課題担当)に就任
平成25年
参議院議員選挙 比例区で当選(204,404票)
現在の役職
内閣総理大臣補佐官(教育再生、少子化その他国政の重要課題担当)(平成24年12月〜現在)
文教科学委員会委員
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員
自民党障害児者問題調査会会長引用:衛藤晟一 公式HP
衛藤氏は苦労人という噂があります。
衛藤氏の父は軍人で、高1の春に病弱だった母を失ったそうです。
バイトで生計を立てながら地元の大分大を卒業するなど、決して楽して政治家になった人ではありません。
衛藤晟一氏の家族について調査してみました。
衛藤晟一氏のご家族は、妻のヒロ子さん、長男の博昭さん、次男の嘉隆さんの4人家族です。
妻のヒロ子さんは、大分県議会の議長を務めたこともある矢野竹雄さんの娘さんだそうです。
生年月日から、お二人が同学年であることがわかりますね。
参考:衛藤晟一HP
長男の博昭さんは昭和54年生まれで現在39歳の政治家です。
慶応義塾大学商学部を卒業後、三菱重工株式会社に入社。
その後34歳で退職、翌年35歳のときに大分県議会選挙にて当選を果たしています。現在は福祉保健生活環境委員会 委員も務めていらっしゃるようです。
趣味は読書。ご家族は妻・長男・次男の4人家族だそうです。
好きな言葉は「独立自尊」。
現在は大分県議会で大分県のために尽力していらっしゃいますが、やはり将来的にはお父様のように国政に出ていくのかもしれませんね。
えとう博昭氏の公式ホームページはこちら
次男の嘉隆さんは昭和59年生まれで現在35歳です。
嘉隆さんについては公的な情報は見当たらないのですが、お名前を検索すると『社会福祉法人仁愛会』という養護老人ホーム等の経営をする法人の法人事務局長のところにお名前がありました。
この法人の事業所は大分にあるようですし、理事長蘭にお兄さんである衛藤博昭氏の名前がありますので、ご本人で間違いないと思います。
博昭氏は福祉保健生活環境委員も務めていますし、ご家族で福祉の分野に力を入れておられるんですね。
衛藤晟一の評判と選挙違反とは?
はじめに述べておきますと、選挙違反に関しては衛藤晟一氏に非がある話題ではありません。後ほど詳しく説明しますね!
衛藤晟一の評判
さて、衛藤晟一氏の評判について調べてみましょう。
衛藤氏は過去に郵政民営化のときに反対をして、自民党を離党した過去があります。
当時は厚生労働副大臣できたが、郵政民営化に反対票を投じたことで副大臣を罷免されました。
ご自分の信念を貫きとおしたんですね。
その後の衆議院議員選挙では無所属で出馬し、落選してしまいます。
しかし2007年には郵政造反組として自民党に復党しました。
このとき阿部総理との関係について次のように言われています。
- 衛藤氏は安倍総理にとって"初当選以来の兄貴分"
- 98年まで同じ旧三塚派に所属 していた。
- 阿部首相は小渕内閣の改造・党人事で党の要職『社会部会長』(現・厚生労働部会長)に抜擢されたが、この人事を当時の亀井静香政調会長に進言したのが、政調副会長だった衛藤氏だった。それまで首相はポストに恵まれず、政務次官の経験すらなかった。ゆえに阿部総理にとって衛藤氏は目をかけてくれた“恩人”
- 歴史認識や教育観でもウマが合う。
以上にように、阿部総理との関係はかなり深いものだといえるでしょう。
今回の人事も、阿部総理の信頼を得ている衛藤氏だからこその任命だったんですね。
衛藤晟一、選挙違反とは?
衛藤氏を検索しようとすると、一緒にキーワードとして並んでいる"選挙違反"というワード。
これはどういうことなのか?
どうやらこれは『参院選での選管による得票数不正操作事件』のことのようです。
2013年の参議院議員通常選挙において、衛藤氏は比例区で全国から20万4,000票以上を獲得し当選しました。
しかし香川県高松市においては衛藤氏の得票数がゼロという信じられない結果が出ました。
これは地検が捜査を進めた結果、高松市職員3名が衛藤氏の312票を集計せずに無効票の箱にいれるなどして隠蔽工作を行ったことによるものだったそうです。
過去にない信じがたい事件として選挙歴史に残っています。
まとめ
今回は『』と題しまして衛藤晟一氏の妻や息子や家族、評判と選挙違反て何のこと?ということについてお届けしてまいりましたがいかがだったでしょうか?
今回は13名は初入閣ということですので、経歴が気になる新大臣はほかにもたくさんいますよね!
順次更新していきますので、よろしければブックマークしていただけると幸いです。
それでは本日はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)
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