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奥村秀一の経歴と槇原敬之との関係歴史を総まとめ!奥村への歌詞も時系列でリンク!

こんにちは、KAORUです。

超大物歌手の槇原敬之氏の薬物逮捕を受けて、21年前の1度目の逮捕劇が改めて注目されています。

当時槇原氏と一緒に逮捕されたのが、恋人だった奥村秀一氏です。

そしてその奥村氏が2018年に薬物で再逮捕され、2020年2月には槇原氏も再逮捕されました。

二人のこれまでの歩みをまとめていきたいと思います。

ということで今回は「奥村秀一の経歴と槇原敬之との関係歴史を総まとめ!奥村への歌詞も時系列でリンク!」と題しまして、奥村秀一の経歴と槇原敬之との関係歴史を総まとめ!奥村への歌詞も時系列でリンクしていきます。

それではいってみましょう!

奥村秀一の経歴と槇原敬之との関係歴史を総まとめ! 奥村への歌詞も時系列でリンク!

ここからは奥村秀一氏と槇原敬之氏の出会い~逮捕までを追っていきたいと思います。

1996年頃 奥村秀一と槇原敬之の出会い

奥村秀一は高校時代は音大の附属高校で作曲の勉強をしていましたが途中でやめてしまいました。

その後は新宿歌舞伎町のニューハーフクラブで働き、18歳ころから「好みのタイプは断然マッキー」と言っていたそうです。

槇原敬之と出会う前から槇原の追っかけファンだったということです。

二人が出会ったのは奥村秀一が20歳、槇原敬之が27歳頃だったようです。

出会った当初、奥村は「ピアスをもらったの」と嬉しそうに周囲に見せびらかしていたそうです。

このころは奥村には別の恋人がいましたが、ほどなくして槇原敬之と付き合うようになったようです。

1996年リリース 「どうしようもない僕に天使が降りてきた」

勢い良くしまったドアで
舞い上がった枕の羽
今夜はついに彼女を
怒らせてしまった
昔の恋人のくれた目覚まし時計を
何度言われてもずっと
使ったのが気に入らない

奥村秀一氏が怒ったのでしょうか・・・。

いろいろ想像しちゃいます。

1999年8月 覚せい剤所持で逮捕【1度目】

1999年8月、槇原敬之が30歳、奥村秀一が23歳頃のとき二人ともに逮捕されました。

当時の供述は、

奥村「自分がは2年前から、槇原は1年前から覚せい剤を始めた」というものでした。
真相はわかりませんが、奥村さんは槇原さんをかばうような証言をしていました。

槇原さんはその後、懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決が言い渡されました。

このときの裁判で槇原さんはこのように証言しています。

「薬物は同性愛関係にある奥村秀一から教わった。」

「曲作りの際に、奥村からアドバイスを受けたり作詞を一部担当させていた。」

「曲自体も自身の男性経験を元に創作していた。」

裁判後にだしたコメントには、

寛大な判決が下りました今も、法を犯す事の重大さを痛感しております。今後は絶対にこのような事を起こさないことを、堅くお約束いたします。いつか皆様にお会いできる日を信じ、頑張って良い曲を作り、歌うことで、恩返しをして行きたいと考えております。

とありました。

その後の活躍はみなさんの記憶にあるとおり。

数々のメガヒットを飛ばし、世間からも完全に復活した姿に映っていました。

1999年リリース「Hungry Spider」

今日も腹を減らして一匹の蜘が
八つの青い葉に糸をかける
ある朝 露に光る巣を見つけ
きれいと笑ったあの子のため
やっかいな相手を好きになった
彼はその巣で獲物を捕まえる
例えば美しく飛ぶ
あの子のような蝶を捕まえる

好きになったやっかいな相手=奥村秀一なのでしょうか?

2000年 10thアルバム「太陽」で活動再開

以前所属していたワーナーミュージックジャパンに復帰移籍し、執行猶予期間中の2000年10月に槇原敬之氏は活動を再開しました。

2003年にはあの大ヒット曲「世界で一つだけの花」をSMAPに楽曲提供。

2004年にはレコード会社をEMIミュージックジャパンに移籍。

2004年9月にはアルバム総売上枚数が1000万枚を突破し、男性ソロ歌手として史上3人目という快挙を成し遂げるなど、以前の輝きを取り戻していました。

2006年3月 奥村秀一が槇原の個人事務所社長に就任

一度目の逮捕後に奥村氏と槇原氏の交友かいつから再開したのかは不明ですが、2006年3月に奥村氏が槇原氏の個人事務所(有限会社ワーズアンドミュージック)の代表取締役に就任したことから、少なくともこのころには二人の交流が再開していたことは明らかです。

単なる仕事上のパートナーといえなくもないですが、現実的に考えたらプライベート上もパートナーだったと考えるのが自然です。

2005年リリース 「明けない夜が来ることはない」

掛け違えたボタンを自分で
正せたのならば
今からでも遅くないかと
心に問いかけた その時
この暗闇を切り裂くように
光の筋が走って
この心で生きていく世界が
朝に照らされて広がっていく

同じような過ちを
誰もが持っているのは
他人を許せる広い心を持てるため
無駄なものでいっぱいの心の中から
責めるための言葉は
とにかく全部捨てよう・・・

”掛け違えたボタンを自分で
正せたのならば
今からでも遅くないかと”

は薬物に手を染めた自分の過ちのことでしょうか?

”他人を許せる広い心を持てるため”とは、奥村秀一のことでしょうか?

と、なんでもかんでも紐づけしたくなります(笑)

2011年リリース 「軒下のモンスター」同性愛カミングアウトソング

槇原さんは2007年に自分が同性愛者であることを公のメディアに公表しました。

そして2011年リリースのアルバム収録曲「軒下のモンスター」は同性愛であることをカミングアウトする曲として作られたといわれています。

謎の答えが分かった
好きになる相手がみんなと僕は違うんだと
普通に結婚して
子供を何人か授かって
それ以外は幸せとは
誰も信じないようなこんな街で
僕のこの恋はどうやら
上手くいきそうにない

わかってる そんなこと
誰よりもわかっているさ
だけど譫言のように
心は君の名を呼ぶから
ばれないように心の口を
必至に塞いでいる

これもなんだか奥村氏のことを書いているように思えます。

譫言のように名前を読んでしまうほど、気持ちを隠す事ができなかったのかもしれません。

2012年 二人の仲睦まじい様子が目撃される

このころには二人の仲睦まじい様子の近所の方からの目撃談もあがるようになりました。

  • 毎日ふたりで愛犬のフレンチブルドッグと散歩をしていた。
  • 手をつなぎながら表参道のブティックで買い物をしていた。
  • ハワイの高級ホテルで周囲の目を気にせずにじゃれ合っていた。
  • 長年連れ添った夫婦のような落ち着いた雰囲気があった。

など、完全に公私ともにパートナーとなっていたようですね。

2016年 槇原氏が激やせで薬物疑惑

2016年頃には「激やせ」が報道され、薬物が再び疑われるようになりました。

2016年リリース 「ANSWER」

君と僕の思いではまだまだ少ない
ずっとずっと歩こう 道を探して
愛という窮屈を
いつまでも抱きしめて

春の強い風も夏の暑さも
秋のさみしさも 冬の寒さも
二人でなら 歩いていけるさ

二人でなら・・・のくだりが奥村さんを連想させますね。

ですが奥村さんから薬物を教わったのであれば、関係を断ち切らなければお互いのためにならなかったはずなのに、悔やまれます。

2018年3月 奥村秀一が再び逮捕される

有限会社ワーズアンドミュージックの代表取締役だった奥村秀一が2度目の逮捕となりました。

ふたりは港区のマンションで同棲していたと報道されておりましたが、このときの逮捕はあくまで奥村秀一氏の薬物所持の疑いでした。

ですがこの逮捕で奥村氏は

「この覚せい剤はマッキーのもの」と発言していたそうです。

これに対して槇原さんは反論したそうですが・・・

2020年2月 槇原敬之 2度目の逮捕

先に逮捕された奥村秀一氏が持っていた薬物がやっぱり槇原敬之氏の物だった!?という薬物所持の疑いで逮捕されたそうですね。

現行犯ではなく過去に遡ってというのがイマイチしっくりこないのですが、こんなケースもあるのですね。

何かしら有力な証拠が出てきたということでしょうか。

なんにしても、1度目の逮捕から21年も経って・・・というのが本当に衝撃的です。
2度目ですからおそらく執行猶予もつきませんよね。

奥村氏との関係を断ち切らずにお互いを甘やかしてしまった二人。

深い縁はあったのでしょうが、マイナスのご縁だったといえそうです・・・。

まとめ

ということで今回は「奥村秀一の経歴と槇原敬之との関係歴史を総まとめ!奥村への歌詞も時系列でリンク!」と題しまして、奥村秀一の経歴と槇原敬之との関係歴史を総まとめ!奥村への歌詞も時系列でリンクしてみました。

私も槇原敬之さんの曲で大好きな曲がたくさんありますので、大変残念に思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!